JAL NAVIA RECRUITMENT 2019

ENTRY
MENU

一人ひとりの物語

EPISODE 5

少年の頃に
戻ったみたいに。

藤本 龍平 RYUHEI FUJIMOTO

東京センター JALプラザ事業室
2004年 入社/外国語学部 英米語学科 卒

日頃の感謝をお客さまに伝えるために。

幼少の頃から飛行機に夢中だった。よく祖父と一緒に地元香川の高松空港を訪れ、空を見上げた。轟音を立て、滑走路から飛び立つ巨大な機体。ただただ、かっこよかった。大空の真ん中で遠く小さくなっていくシルエットを見つめながら、「もっと飛んでいけ」と心の中で何度も呟いた。

あれから30年ほどが経つ。JALナビアで働いている今では、単にJALが好きなのではなく、JALを楽しむようになった。JALナビアは本社・営業・空港といった組織背景や、お客さまの旅行の一連の流れを学べる。仕事は大変なこともあるが、何はともあれ面白い。入社してから主に予約センターで受電業務を行っていたが、数年前からJALプラザに配属となり、今はユニット長として現場を統括している。

記憶に残る仕事がある。2016年冬、JALプラザでの東京~ニューヨーク線就航50周年記念イベントを主導したときだ。ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港で執り行われたセレモニーを受けての店舗イベント。日頃足を運んでいただいているお客さまに楽しんでいただきたい。そして機内や空港以外でJALを感じていただきたい。その想いを伝えるにはもってこいのタイミングだった。 

通常だと店舗イベントというのは、集客数や売上を重視し、その結果によって成功したか否かが決まる。しかし、今回はそうしたくなかった。JALプラザからJALグループを感じていただき、そしてJALの歴史に触れ、これからの新しいJALグループをより多くのお客さまに知っていただきたかった。

いつもと違う賑やかさに包まれたJALプラザ。

店舗スタッフも、そして私も、通常の業務と並行してプロジェクトを進行させ、閉店時間の18時30分から何度も打ち合わせを行った。「いつもJALグループをご利用いただいているお客さまに、少しでも楽しんでもらいたい」。そこには揺るぎない共通認識があったのだと思う。だからこそ、常に積極的な意見や主張が飛び交った。また、一日一日着実に前に進んでいくことで、全員の結束力が強まっていくのを感じた。

「JALの歴史を振り返る」。このイベントのコンセプトである。ゆえにJALプラザだけでは実現できない。本社アーカイブセンターや宣伝部などにも力を借り、JALグランドスタッフの歴代制服をはじめ、1966年東京~ニューヨーク線就航当時機内で使用されていたコースターや時刻表など、30点以上のJALの歴史に関連する展示品を集めた。

2016年12月15日午前9時30分。入口のシャッターが開くと、店頭では大勢のお客さまがお待ちになられていた。私を含め、カウンタースタッフ全員は歴代の制服に身を包み、入店されるお客さま一人ひとりを迎える。日頃より来店いただく方。展示品の入ったショーケースを眺めるご夫婦。店内を駆け回るお子さま。そして、いつも以上に楽しそうに接客をするカウンタースタッフ。普段と違った賑やかさに、私はこのイベントの成功を確信した。

その14日間はあっという間に過ぎ去った。最終日、最後のお客さまを見送り、シャッターを閉めた後の数秒間、店内は静けさに包まれた。直後、スタッフ全員で喜び合った。

翌朝、通勤途中。ふと、空を見上げた。遠く小さく、一機の飛行機が飛んでいる。「もっと飛んでいけ」。私は何だか嬉しくなって、少年の頃に戻ったみたいに、そう小さく呟いた。

COLUMN

わたしにとっての「世界最高のコンタクトセンター」

航空券の予約は、年々WEBが台頭してきています。いつでもどこでも24時間対応できるWEBはJALを感じていただける最高の媒体です。しかしながら、WEBにはできないこともあると思います。それは、経験や体験に基づきお客さまに空の旅への喜びと楽しみを提供し、そしてお客さまのお気持ちをくみ取り、ご要望を引き出すことです。お客さま、私ども双方向からのお話を通じて、どのような旅程がお客さまにとって最善であるか。私たちの目指す「世界最高のコンタクトセンター」とは、JALをお選びいただくお客さまを「最高の空の旅へ誘う案内人」であると考えます。
藤本 龍平